ブラジルバスジャック事件の引き金となったカンデラリア教会虐殺事件とは

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今回は2000年に発生した史上最悪と言われているブラジルリオデジャネイロのバスジャック事件の原因になったと言われているカンデリア教会虐殺事件について調査します。

カンデラリア教会とは

カンデラリア教会は、バロック様式で17世紀初頭にスペイン人によって建てられました。

「カンデラリア」という名前は嵐の中リオデジャネイロに辿り着いた難破船から付けられたもので「聖母カンデラリア」からきています。

乗船していたスペイン人が嵐から上陸でき聖母カンデラリアに誓いを果たすために建てたと言われるリオデジャネイロ最古の教会です。

その後、内装をバロックからネオ・ルネッサンス様式に改修するなどの改築を繰り返し19世紀に現在の形になったそうです。

事件の背景

事件が起きた当時の1993年ごろにはカンデラリア教会ではたくさんのストリートチルドレンが集まり食料、教育、簡易宿泊所を提供していました。

また宗教指導などの援助も無償で行っていました。

当時リオデジャネイロは国際的観光都市で知られていましたが、長年のインフレなどによる国家的な経済不安定の影響もあり経済が悪化していました。

そのため路上生活をする少年や違法薬物売買、売春などに関する犯罪行為に走る少年たちが増え問題視されていました。

警察による少年たちに対する過剰な取り締まりもあったそうですが、現状を憂う地域住民によって見過ごされていたようです。

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無防備な少年たちへの残忍な行為

リオデジャネイロでは少年による犯罪行為が社会問題化していました。

そのため警察の過度な暴行を支持する市民も多く「死の部隊」と呼ばれる現役警察官、元警察官の部隊までありました。

観光客の伸び悩みに苦慮する商店街の店主から依頼を受けた「死の部隊」が路上生活者に言葉巧みに近づいて車内や人気のない場所で暴行や殺人を行っていました。

そんな中1993年7月23日、警察に不信感を抱く少年たちがパトカーに石を投げたのです。

警察官グループはその報復行為として、深夜の教会で寝ている子供たちに対し、無差別に発砲し11歳から20歳の少年8名の命を奪ってしまいました。

当然、国際社会はこの事件を非難しその非難を受けて警察司法は子どもたちに発砲したグループを起訴しました。

しかしリオ地裁は、元警官マルクス・ビニシウス・エマヌエル被告(禁錮309年の有罪判決)を含む2名のみ有罪としただけでした。

ブラジル社会が生み出したストリートチルドレンをブラジル国家が虐殺するという衝撃的な事件でした。

事件のその後

62名が生存したと推測された子供達のその後をソーシャル・ワーカーが調査しました。

すると39名は路上生活の環境により死亡していたとの報告があがりました。

そしてその生存者の一人、サンドロ・ロサ・ド・ナシメントが事件を起こしてしまいます。

2000年6月12日、史上最悪と言われるバスジャック事件です。

事件はテレビでブラジル全土に生中継されていたため、サンドロはカンデラリア教会虐殺事件も含め、如何にブラジルの刑事司法制度が貧困層に不当であるかを電波を通じて訴えました。

バスジャック事件は最悪の結末を迎えてしまいます。

事件から20年以上経っている今でもブラジルには2万人を超えるストリートチルドレンがいるといわれてます。

現在も貧富の差は激しく犯罪に手を染めないと生きていけない子供たちが多くいるのです。

事件の教訓を活かし根本的な改善をしていかないとまた悲劇を繰り返してしまうのではないでしょうか。

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まとめ

今回は2000年に発生した史上最悪と言われているブラジルリオデジャネイロのバスジャック事件の原因になったと言われているカンデリア教会虐殺事件について調査しました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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