【映像】由美かおるが遭遇!381便塚原利夫機長の神業便胴体着陸!

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1979年7月21日、羽田発・南紀白浜行きの東亜国内航空381便(日本航空機製造YS−11)が、離陸直後、上空で左側の車輪が出ないというトラブルに見舞われました。

パイロットは、25才で国内最年少で機長になった塚原利夫さんでした。

乗客のなかには女優の由美かおるさん(当時28歳)の姿もありました。

塚原利夫機長は絶体絶命の機体トラブルを現在では考えられいない方法で乗客の信頼を勝ち取りパニックを起こさせる事なく見事に着陸を成功させました。

今回は国内最年少機長塚原機長が取った驚きの方法について紹介します。

離陸直後にトラブル発生

7月21日午前8時38分。東亜国内航空機381便、羽田空港発・南紀白浜空港行きは、乗客乗員71名を乗せ羽田空港を離陸しました。

メインパイロットは、経験5年目の塚原利夫さんでした。

塚原機長は国内最年少の25歳で機長になり、経験5年目の30歳でした。

また、この便の乗客には、南紀白浜で行われる午後のステージに向かうため偶然乗りあわせていた女優の由美かおるさんが搭乗していました。

飛行機が羽田を離陸した直後に機長が車輪を格納しようとしたところ、車輪格納と同時に消えるはずの計器ランプのうち、左後輪が格納された際にランプが消灯するのが少し遅いことに気付きました。

異変を感じた機長は再度車輪を出して格納し直すよう副操縦士に指示しましたがその時に左後輪が出ないことがわかりました。

副操縦士は何度も車輪を出すスイッチを操作しましたが、車輪が出ることはありませんでした。

昔の飛行機はスイッチの操作音が大きく客室にまで「ガタン」という音が何度も響いていたので、客室内は不穏な空気が流れ始めていました。

離陸から15分後、塚原機長は羽田空港に引き返す決断をしました。

その後、機長は機内アナウンスで、左の車輪が出ないこと、羽田空港に戻ること、車輪が出ないので胴体着陸の可能性があることなど現在機体に発生しているトラブルとこれから起こり得る事を乗客に伝えました。

不穏な空気が流れていた機内に機長のアナウンスは到底平常心では受け入れられずパニック状態になりました。

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機長がとったとんでもない行動

客室内の不安が一気に高まったことを受け機長は自ら客室で状況を説明します。

アナウンスで伝えたことを繰り返し丁寧にもう一度伝え、説明が終わった後に一人一人の質門に答えました。

機長の年齢が若かったこともあり機長の説明に納得しない乗客もかなりいたそうです。

安全な着陸をするのに乗客の理解と協力は必須だと感じていた機長は今では考えられない行動に出ました。

それはコックピットを解放し乗客にコックピット内を見学させたのです。

羽田管制塔から待機指示が出ていたのでその間に操縦する姿を見せたり、子供たちの質問にも気さくに答えたりする姿を見せることでクルーの冷静さを乗客にアピールしたのでした。

現在はハイジャック防止のためクルー以外がコックピットに入ることは厳禁ですが、45年前は機長の判断で中に人を入れることができたそうです。

昔だからできたウルトラCですね。

当時も社内規定ではNGでしょうけど。

クルーの対応を目の当たりにし冷静さを取り戻した乗客は自席に戻り客室乗務員の指示で胴体着陸に備えました。

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いよいよ着陸

羽田まで旋回する際に機体を上下させ振動で車輪を出そうとしましたが格納扉は開かきませんでした。

やむを得ず直接の胴体着陸よりは衝撃の少ない片輪での着陸を選択しました。

片輪着陸を選択したもう一つの理由は、積荷の中に放射性物質の一種、医療用アイソトープが積まれている事でした。

荷室は機体の下部にあるため胴体着陸では放射能汚染を起こす危険性があったからです。

乗員乗客だけでなく付近の住民にも危険が及んでしまうので難しい判断ですね。

着陸に際してはかなりの衝撃が予想されたので、機長はあらかじめ女性と子供は通路側のより衝撃の少ないと思われる席に移動するよう指示していました。

ここでも機長の冷静な判断が見て取れますね。ナイスプレーです。

いよいよ着陸ですが、右後輪、前輪と接地させバランスを保ちながら減速していきます。

減速していくにつれてバランスが取りづらくなり左側の胴体を地面に擦り付けながら反転するように停止。

期待の炎上もなく乗員乗客71名全員無事に地上に降り立つことができました。

着陸後、塚原機長が客室に現れた際には機内が拍手に包まれたそうです。

実際の着陸の様子です。

当時は機体のトラブルもそうですが、女優の由美かおるさんが乗っていたということで大きなニュースになりました。

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事故原因

事故の原因を調査すると、左後輪が下りなかった原因は、タイヤが格納される際にタイヤをロックする部品が金属疲労で折れていたことでした。

組み立て時に誤った順番で組み立てられてしまったために部品に負荷がかかってしまったとされています。

組み立て時に順番を間違えるなんて、にわかには信じ難い話ですね。

まとめ

今回は「東亜国内航空381便胴体着陸事故」について調査しました。

女優の由美かおるさんが搭乗していたこともあり話題になった事故ですね。

ちなみに381便のメインパイロットだった塚原利夫機長は、日本における最長経験機長(機長経験36年、総飛行時間21,780時間)です。

今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました。

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