今回はパリオリンピック女子サーフィン日本代表の松田詩野選手について調査します。
松田選手といえば前回の東京オリンピックの際は内定取り消しという苦い経験をしています。
内定取り消しの経緯とパリオリンピックまでの道のりを見てみましょう。
松田詩野選手のプロフィール
松田選手は6歳の時に両親の影響でサーフィンを始めました。
お父さんはロングボードをお母さんはボディーボードをされていたそうです。
お父さんの出身地は山形県だそうで仕事の関係なのかサーフィンのためなのかは不明ですが家族で茅ヶ崎に引っ越してきたんですね。
なので小さい頃からサーフィンをやる環境は整っていたんですね。
中学2年の時に「全日本サーフィン選手権大会」「全日本級別サーフィン選手権大会」で優勝し可愛らしいルックスも相まって注目されました。
中学3年でプロサーファーに転向し世界ジュニア選手権Uー16で準優勝するなど順調に世界ランキングを上げていきました。
2021年にはWSL CSアジアランキングで1位になるなど活躍中です。
松田詩野が東京五輪内定取り消し
松田詩野選手は2021年に行われた東京オリンピックでは内定取り消しという苦い経験をしています。
東京五輪代表に条件付きで内定
松田選手が14歳の時にサーフィンがオリンピック種目に内定しました。
当時中学生だった松田選手は4年後の東京オリンピックに自分が出れたらいいなと漠然と思っていたそうです。
2019年に行われた「2019 ISA World Surfing Games」でアジア選手最高位を獲得し東京オリンピック代表内定を条件付きでもらいました。
その条件とはオリンピック出場が決定する時にランキング上位2名に入っていること。
2020年に東京オリンピックが開催されていれば松田選手はこの条件を満たしていたでしょう。
しかし2020年には新型コロナが世界的に大流行しており開催が1年延期になりました。
内定から一転落選
この1年が松田選手には大きく響きました。
練習も満足にできない中、肩の亜脱臼というケガと戦いながらの練習。
高校生のメンタルは限界でした。
2021年東京オリンピックの代表が決まるエルサルバドルでの大会でまさかの41位。
ランキング上位2名に入ることができず内定から一転落選ということになりました。
松田選手はこの時の経験をのちにこう語っています。
「あの時はメディアの取材も多くみんなの期待に応えることだけを考えて試合に臨んでいたのかもしれません。そこに自分の気持ちがついていってなかった」
当時のインタビューは「応援してくれている人のため」「みんなに夢や希望を与えたい」と言った発言が多かったように思います。
周りの人のためではなく自分の気持ち、勝ちたいという気持ちを前面に出すことで変えていこうと思ったと言います。
そうする事で競技も楽しめたし結果もついてきたそうです。
東京からパリへ
この経験があったからこそ3年後のパリオリンピックに向かうことができたんではないでしょうか。
当時はすごく悔しくてすごく落ち込んだそうです。
そりゃそうですよね。
手が届きかけていたオリンピック出場が延期により落選になってしまったんですから。
そんな時に家族のサポート周りの応援してくれる人のサポートがあって前に進むことができた。
だからもう一度パリを目指そうと思えたんだそうです。
周りを気にしすぎていた彼女が周りに助けられ前を向けたんですね。
そして見事に2024年パリオリンピックの代表の座を掴みました。
3年越しの大舞台、悔いのないパフォーマンスを見せてほしいですね。
まとめ
今回はパリオリンピック女子サーフィン日本代表の松田詩野選手について調査しました。
東京オリンピックの際は内定取り消しという苦い経験を経て心が大きく成長していましたね。
パリオリンピックでの活躍が楽しみです。
最後までご覧いただきありがとうございました。